こんにちは。大学史史料室です。トピックスをご覧いただき、ありがとうございます。
本日は、斎藤輝子と東京音楽学校選科のお話です。
東京藝術大学音楽学部の前身、東京音楽学校には、「選科」というコースがありました。選科では、特定の科目を集中的に学びます。
斎藤輝子は、1921(大正10)年6月から1924(同13)年3月まで、選科でピアノを学んでいたようです。
東京藝術大学の大学史史料室が所蔵している、「選科學籍簿」(大正九年四月以降)という資料を紐解いてみます。
学籍番号5173の欄に、「斎藤輝子」の名前が確認できます。
「學科」の欄には「ピアノ」とありました。
生年月日の欄には「二十八年十二月二十八日生」と記されています。
資料の前後のページから、「二十八年」は「明治二十八年」であると考えられます。
斎藤茂吉の奥様、輝子さんは、明治28(1895)年12月11日生まれとされています。
日付が違っているのは、記入ミスのためか、それとも別の輝子さんだから…?
住所の欄に目を移してみますと、「赤坂区青山南町五ノ八一」と記されていました。
これは、茂吉が院長を務めたことで知られる「青山脳病院」の住所です。
つまり、茂吉の奥様の輝子は、東京音楽学校の選科に約2年在籍し、ピアノを学んでいたことになります。
学籍簿によれば、「大正十年六月二日入学」、「同十三年三月三十一日除名」となっています。
1921-1924(大正10-13)年の東京音楽学校は、どのような状況だったのでしょうか。
輝子が在籍していた「選科」の教室は、神田の分教場にありました。
『東京音楽学校一覧 従大正十年至大正十一年』(東京音楽学校、1921年)を参照しますと、
分教場でピアノを教えていた先生は、以下のような顔ぶれだったことがわかります。
橘糸重、神戸絢、萩原英一、小倉末、高折宮次、弘田龍太郎、山崎テル
では、輝子たち選科の学生たちは何の曲を弾いて、どのようなレッスンを受けていたのでしょうか。
残念ながら、現時点で詳細をつきとめるには至っておりません。
実は、時代を問わず、東京音楽学校の選科に関する資料は多くない状態です。
選科出身者には、詩人・小説家の島崎藤村や、作曲家の江文也、金井喜久子といった人たちもいます。
今後、選科における教育実態の解明を進めていきたいと考えております。
もし授業ノートなどをお持ちのかたがいらっしゃいましたら、ぜひご寄贈をご検討くださいませ。
選科、あるいは東京音楽学校・東京藝術大学音楽学部の授業やレッスンにかんする情報もお寄せいただけますと幸いです。
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