植田昌子様より、瀧崎鎭代子氏と「フリーダー会」に関する資料(カセットテープ、記録ノート、楽譜など)を多数ご寄贈いただきました。大学史史料室では現在これらの資料の整理を進めています。まだ作業中なのですが、いただいた資料の一部を一足先にこちらでご紹介します。
瀧崎鎭代子氏(旧姓:宮内)は、昭和8年(1933)~昭和53年(1978)に東京音楽学校および東京藝術大学音楽学部でピアノを教えていた先生です。
鎭代子氏は昭和11年(1936)に、プライベートでピアノを教えていた生徒たちを集めて「フリーダー会」という勉強会を立ち上げました。小・中学生から大人までのアマチュアを主体としたピアノの勉強会でしたが、通常イメージするようなピアノ教室の発表会とは少し違います。鎭代子氏は生徒たちにピアノ独奏曲だけでなくオーケストラを伴った協奏曲を勉強する機会も与えたいと考え、芸大生の共演者を募り、なんと実現させてしまいます。他に、アンサンブルや声楽・器楽伴奏などを学ぶ会も開催されました。フリーダー会は約50年活動を続けました。
「記録ノート」と「練習ノート」の詳細な記録を見ると、フリーダー会の様子が蘇ってくるようです。計73冊のノートには、ゲネプロと本番の段どりや注意点、会計報告、出演者による振り返り、共演者からのコメントや歌曲の歌詞対訳などが書かれています。また、本番のプログラム、写真、手紙類、演奏会や公開講座のチラシも貼り付けられています。おそらく記録ノートは回覧板・連絡帳のような役割も果たしたのでしょう。何度もフリーダー会を訪れていた作曲家の信時潔や、外国人ピアニストからの手紙も「記録ノート」で共有されています。
デートレフ・クラウス Detlef Kraus、コンラート・ハンゼン Conrad Hansen、パウル・バドゥラ=スコダ Paul Badura-Skoda、イェルク・デームス Jörg Demusなどの外国人ピアニストが来日する際には、レッスンをしてもらうことも度々ありました。生徒の演奏する音源を送って、批評・アドバイスをもらうこともあったようです。鎭代子氏の夫でドイツ文学者の瀧崎安之助氏も、鎭代子氏の書いたレッスン依頼の手紙をドイツ語に翻訳するなどして協力しました。
外国人ピアニストによるレッスンの様子が録音された62点のカセットテープもご寄贈いただきました。
この度は貴重な資料をご寄贈いただき誠にありがとうございました。多くの方に活用していただけるよう、引き続き整理を進めて参ります。
(冨澤麻衣子)