大学史史料室所蔵のデジタル資料を新しく公開しました!

今回公開した資料は

 
 
 
「村野弘二作曲 オペラ《白狐》より第2幕第3場〈こるはの独唱〉」です!

 
 
 

デジタル化資料はこちらより

鉛筆書き譜面

 
 
 
 

村野弘二 Koji MURANO

大正12(1923)年7月30日兵庫県生まれ。父貞朗の手記「弘二の死を知って」によれば、村野は中学三年生頃、独学で作曲に熱中し始めた。受験準備中に島崎藤村作詩《小兎の歌》《秋はむなしうして》など作曲、昭和17(1942)年東京音楽学校予科に入学。作曲を下總皖一(村野は團伊玖磨と同期・同門)、理論を橋本國彦、ピアノを永井進に師事。本科1年の秋、学生の徴兵延期措置が撤廃され11月15日仮卒業(休学)。校内の「出陣学徒出演演奏会」にて「葛の葉の伝説による歌劇《白狐》第二幕白狐「こるは」の独唱」の作品発表を行い、自作数曲を録音し12月入隊。昭和20(1945)年8月21日フィリピン・ルソン島ブンヒヤンにて自決。楽譜の大半は疎開先の福井で空襲に遭い焼失、《白狐》他数曲が神戸の実家で焼失を免れた。

 
 
 
 
 
作品について

《白狐》は、岡倉天心原作の英文オペラ台本(1913)で、村野は清見陸郎訳『白狐−−−音楽を伴ふ三幕の妖精劇(フェアリードラマ)』(1939)を歌詞に用いた。阿倍野の領主・保名(やすな)の妻の留守に、狐「こるは」が妻の姿で保名と幸せに暮らすが、本物の妻が戻り、こるはは書き置きを残し、去る。第二幕〈こるはの独唱〉はこるはが命の恩人・保名を救うため人の姿にかえてほしいと月に祈る場面。日本的な旋法がドビュッシー風の和声に乗せて歌われる。作曲年代不明。現存するのは「ActⅡ」の27~37頁と「extra 」「ActⅡ .37より続く」と記された終結1頁である。「出陣学徒出演演奏会」に〈こるはの独唱〉を単独で演奏するため終結部を補作したものと見られ、結果的に《白狐》のこの部分だけが作曲者の手元に留まり、焼失を免れた。SP盤は戸田敏子と髙橋美代子の演奏による。

                         (2017/7/30 「戦没学生のメッセージ」プログラムより)

 
 
 
 
 
 
こちらの資料はご遺族の解説されたHPでも閲覧可能ですし、音源もYoutubeにあげていらっしゃいます。
 
 

是非そちらも合わせてご覧いただけたらと思います。

  

 
 
http://www.asahi-net.or.jp/~uw7a-mrn/KojiMurano/

この楽曲は今年のコンサートでも演奏予定です!