Works of Mamoru KUZUHARA
葛原安子氏所蔵
葛原はオーボエとピアノのための作品を2曲書いている。本人が戦後に見直すことがあったらいずれか一方が廃棄されたかもしれないのだが、注目されるのは2曲とも同じモチーフを使用していることである。モチーフとは歌曲《かなしひものよ》で歌われる旋律である。一般的な解釈では、まず歌曲《かなしひものよ》が書かれ、そこから二つのオーボエ独奏曲が生まれた、ということになろう。2曲いずれにも「本科二年」と書かれ、さほど時を措かず作曲されたものと見られる。葛原は《かなしひものよ》をオーボエに歌わせ、歌詞に託された心情を内在化し、室内楽としての可能性に挑戦したのであろう。
葛原安子氏所蔵
「音楽史」と「音楽史2」
葛原守が昭和15年4月に東京音楽学校予科に入学し、翌年本科器楽部1年に進んだ。当時のカリキュラムでは、器楽部生徒は、音楽史を本科1年と2年で履修することになっている。
「音楽史2」が本科2年時のものであるとすれば、「音楽史」は本科1年時のものであろうか。音楽史の担当教員は、「音楽史2」に遠藤教授と記される通り、遠藤宏教授(1894-1963)であろう。教師名の書かれていない「音楽史」のほうは誰が教えていたのだろうか。大学史史料室に保管される「昭和十六年時間表」に遠藤宏の担当授業表がある。それによれば遠藤は、本科1年生と2年生、師範科1年生と2年生の音楽史を担当していたことがわかる。したがって「音楽史」のほうも遠藤教授だったのであろう。音楽史は週2回あった。当時、遠藤のほか、田辺尚雄講師(1883-1984)も音楽史を教えていたが、田辺の担当は邦楽科の1年生から3年生までであった。
ノートは見開きの両ページを使い分け、黒板を写し取ったものか楽器なども丁寧かつ鮮明に描かれている。昭和16年、17年当時の東京音楽学校における音楽史の講義概要を知る貴重な資料であるとともに、その几帳面で丁寧な書きぶりは、熱心に授業に臨んだ葛原の姿を彷彿とさせる。
葛原安子氏所蔵
楽譜は見開き2頁。歌詞は自作ではないかと考えられているが
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