葛原 守
Mamoru KUZUHARA

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大正11(1922)年10月22日東京生まれ。府立第五中学校(現都立小石川中等教育学校)で声楽家・寶井眞一に学ぶ。ピアニストを目指し昭和15(1940)年東京音楽学校予科入学。翌年本科器楽部に進みピアノを専攻した。同期入学のピアノ専攻生は、男子7名、女子19名で、のちに《夏の思い出》や《サルビア》など数々の名曲で知られる中田喜直(1923- 2000)もいた。

作曲の好きな二人は作曲部同期の草川宏とも親交を深め切磋琢磨した。予科では田中規矩士、本科で豊増昇に師事し、中田喜直とは同門であった。葛原は橋本國彦に作曲の指導も受けていた。葛原の名前が東京音楽学校の公開演奏会のプログラムに最初に登場するのは、昭和16年11月の第134回報国団演奏会で、1年先輩のテノール・中目徹の歌うマスカーニ作曲、歌劇《カヴァレリア・ルスティカーナ》より〈アヴェ・マリア〉の伴奏であった。同17年11月の第142回報国団演奏会ではフランク《交響的変奏曲》を豊増昇の伴奏で独奏、翌18年9月卒業演奏会ではショパン《幻想曲ヘ短調》Op.49を演奏し、幸田奨学賞を得て繰上げ卒業。その頃から葛原がピアニストとして活動し始めていたことを、「出演謝金 20円」と書かれた紙片2枚が伝えている。裏面には内幸町のNHK東京放送会館の略図が印刷されている。演奏の放送記録などは確認できていない。

葛原の同期で、戦後、長年にわたる演奏活動と厳しい指導で知られ藝大名誉教授となったピアニスト・田村宏(1923-2011)は、葛原について「生きていれば藝大の先生になる人だった」と語った(2009年談)。翌年3月7日広島の部隊に入隊。フィリピンで罹病し、昭和20年4月12日台北陸軍病院円山臨時分院にて戦病死した。4歳上に兄丘[たかし]がいたが、真珠湾攻撃参加後、珊瑚海海戦で同17年5月8日に戦死している。

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Works of Mamoru KUZUHARA

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自由作曲(オーボー独奏曲)

葛原安子氏所蔵

葛原はオーボエとピアノのための作品を2曲書いている。本人が戦後に見直すことがあったらいずれか一方が廃棄されたかもしれないのだが、注目されるのは2曲とも同じモチーフを使用していることである。モチーフとは歌曲《かなしひものよ》で歌われる旋律である。一般的な解釈では、まず歌曲《かなしひものよ》が書かれ、そこから二つのオーボエ独奏曲が生まれた、ということになろう。2曲いずれにも「本科二年」と書かれ、さほど時を措かず作曲されたものと見られる。葛原は《かなしひものよ》をオーボエに歌わせ、歌詞に託された心情を内在化し、室内楽としての可能性に挑戦したのであろう。

「《自由作曲(オーボー独奏曲)》」詳説ページへ

藝大ミュージックアーカイブ

藝大21 戦没学生のメッセージⅡ トークイン・コンサート
葛原 守 《自由作曲(オーボー独奏曲)》
河村玲於:オーボエ、松岡あさひ:ピアノ

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音楽史ノート
音楽史ノート
音楽史2ノート
音楽史2ノート
「音楽史」ノート

葛原安子氏所蔵

「音楽史」と「音楽史2」

葛原守が昭和15年4月に東京音楽学校予科に入学し、翌年本科器楽部1年に進んだ。当時のカリキュラムでは、器楽部生徒は、音楽史を本科1年と2年で履修することになっている。

「音楽史2」が本科2年時のものであるとすれば、「音楽史」は本科1年時のものであろうか。音楽史の担当教員は、「音楽史2」に遠藤教授と記される通り、遠藤宏教授(1894-1963)であろう。教師名の書かれていない「音楽史」のほうは誰が教えていたのだろうか。大学史史料室に保管される「昭和十六年時間表」に遠藤宏の担当授業表がある。それによれば遠藤は、本科1年生と2年生、師範科1年生と2年生の音楽史を担当していたことがわかる。したがって「音楽史」のほうも遠藤教授だったのであろう。音楽史は週2回あった。当時、遠藤のほか、田辺尚雄講師(1883-1984)も音楽史を教えていたが、田辺の担当は邦楽科の1年生から3年生までであった。

ノートは見開きの両ページを使い分け、黒板を写し取ったものか楽器なども丁寧かつ鮮明に描かれている。昭和16年、17年当時の東京音楽学校における音楽史の講義概要を知る貴重な資料であるとともに、その几帳面で丁寧な書きぶりは、熱心に授業に臨んだ葛原の姿を彷彿とさせる。

「音楽史」ノート詳説ページへ

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歌曲《かなしひものよ》

葛原安子氏所蔵

楽譜は見開き2頁。歌詞は自作ではないかと考えられているが未詳。「かなしひものよ」は歌詞の冒頭であり、作曲者はタイトルを付 けていない。しかし平成26年の演奏でも《かなしひものよ》がタイトルとされ、今回も《かなしひものよ》を便宜上 タイトルとする。五線紙見開き2頁に書かれている。譜面にはレッスンに持参して添削を受けた形跡はない。作曲年月日不明であるが、《かなしひものよ》の旋律が昭和17年に作曲されたオーボエ2作品にも現れることは、葛原にとって《かなしひものよ》が大切な曲であったことの証であるとともに、作曲時期を推定する目安ともなろう。昭和17年5月に兄・丘(たかし)が戦死したこととも関連しているのだろうか。

平成26(2014)年11月23日、福山市神辺町(かんなべちょう)の「第39回神辺音楽祭」にて村上彩子(Sop)、佐藤恵美子(Pf)により演 奏された。また平成29(2017)年7月30日、東京藝術大学創立130周年記念イベント「戦没学生のメッセージ」にて金持亜実(Sop)、松岡あさひ(Pf)により演奏された。

「歌曲《かなしひものよ》」詳説ページへ

藝大ミュージックアーカイブ

藝大21 戦没学生のメッセージⅡ トークイン・コンサート
葛原 守/歌曲《かなしひものよ》
金持亜実:ソプラノ、松岡あさひ:ピアノ

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